2010年07月29日
塩瀬饅頭(しおせ まんじゅう)
「塩瀬総本家」と呼ばれる菓子舗がある。
宮内庁御用達の名店中の名店にして、創業以来今年で661年、日本における饅頭の元祖だが、現在その本拠地は東京・明石町。聖路加病院で有名な超高層タワーのふもとに本店を構えている。
が、実は本市と切っても切れない縁で結ばれている。
以下は同家HPからの引用。
塩瀬の歴史は、650年ほど前に遡ります。貞和5(1349)年、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人が別れがたく随従して来朝しました。その人物が、塩瀬総本家の始祖・林淨因です。林淨因は暮らしの居を奈良に構え、お饅頭を作って売り出しました。これが、塩瀬の歴史の始まりです。
当時、禅宗寺院は宗教学問の場だけでなく、上流階級の社交場として使われていました。淨因のお饅頭は、肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸し上げたもので、その画期的な甘味は寺院に集う上流階級に大評判となりました。
その後、饅頭屋は、林淨因の子孫が受け継ぎ、奈良・林家と京都・林家に別れて営業することになります。
1467(応仁元)年の応仁の乱。応仁の乱は京都を焼け野原にしました。戦乱を避けて京都を離れた林家は、親戚関係であった豪族・塩瀬家を頼って三河国設楽郡塩瀬村に住み、姓を「塩瀬」に改めました。
再び京都に移った塩瀬は大繁盛、塩瀬があった烏丸三条通り下ルのあたりは当時、饅頭屋町と呼ばれました。この頃、8代室町将軍の足利義政より「日本第一番本饅頭所林氏塩瀬」の看板を授かり、時の帝、後土御門天皇からは「五七の桐」の御紋を拝領しました。・・・・後略
上記中「三河国設楽郡塩瀬村」とあるのが、本市の旧鳳来町地内、塩瀬のことだ。
ここは鳳来西小学校の学区内にあるのだが、少し前のこと、同小の子どもたちが塩瀬饅頭の由来を調べて、手づくりで饅頭をつくることを企画。
そして代表生徒が東京の総本家まで出向き、総帥である川島英子会長(34代当主)にお会いして協力を要請。
評判の女傑でもある川島会長は、さすがにゆかりの地の子どもたちを失望させることはなかった。
昨年は鳳来西小にわざわざお出ましいただいて講演まで行ってくださった。
もちろん、ここにいたる以前には、地元の古老と川島会長とのお付き合いがあってのことだったが、何にしてもありがたいことだった。
この講演会の当日、私は別件の用務でうかがえなかったので、後日東京出張のおり、明石町の総本家を訪ねて御挨拶をさせていただいた。
闊達にして縦横な語り口で塩瀬のことをお話くださった川島会長。ひたすら圧倒されて辞したが、昨日(7月28日)奥三河ビジョンフォーラムの講演会で来市くださった。
そのさいわざわざ市長室にもお立ち寄りいただき、貴重な書籍をご寄贈くださった。
『塩瀬六百五十年の歩み ―まんじゅうの歴史』(川島英子著 塩瀬総本家発行 1996年)
『まんじゅう屋繁盛記 塩瀬の六五〇年』(川島英子著 岩波書店 2006年)
前者の『~歩み』は、川島会長が独学でまんじゅうの由来から塩瀬の歴史にいたるまで調べ上げた労作で研究者のあいだでも評価の高い資料となっている。
塩瀬の本市との因縁はそればかりではない。塩瀬を代表する銘菓・本饅頭は、別名・兜饅頭とも呼ばれ、そもそもは長篠合戦の時に徳川家康に陣中見舞いに献上したもの、と。
菓子の塩瀬、の名をお聞きになったら、その塩瀬は現新城市の塩瀬のことだよと、まわりじゅうにご吹聴ください。
今日の「1日1エコ」
インテリア 目から涼しさ 呼ぶ工夫
2010年07月28日
8・6ヒロシマ
本年5月、広島・長崎両市の呼びかけにこたえ「平和市長会議」に新城市長名で加盟したことは、先に報告したところ(5月27日付『平和市長会議』)。
その年に迎える8月6日広島・平和記念式典、歴史を画する式になりそうだ。
これまで参加を拒んできたアメリカ、イギリス、フランスの西側核保有国が公使級の代表を参加させると明らかにしたのだ。
広島、長崎の平和記念式典は一貫して核兵器の廃絶を訴えてきたが、両市への原爆投下を正当なものとするアメリカ、そして核抑止戦略をとる西側保有国は欠席を続けてきた。
他の核保有国であるロシア、中国、イスラエル、インド、パキスタンは、広島市からの招待状を受けて、ここ10年ほどの間で順次参加に踏み切ってきた。
米英仏3カ国が参加することで、すべての核保有国(秘密保有をしている国があれば別だが)が広島に集い、原爆犠牲者を追悼し、恒久平和と核なき世界をともに祈ることになる。
やはり昨年チェコでのオバマ演説と今年5月のNPT会議での新たな動きが大きな後押しになったわけだが、何といっても長年にわたってたゆまぬ努力を続けてきた広島、長崎両市の「都市外交」と国際連帯活動が獲得した成果というべきではないだろうか。
さらに国連の潘事務総長も国連トップとして初めて式典に参加すると発表しているので、今年の8月6日は特別な日となることだろう。
各国の代表者たちが広島の人々の願いにじかに触れるということが、どれほど大きな意味を持つか。そしてそれがどんな相互作用や「化学反応」をひきおこすのか。
期待をこめて注視したい。
〔本ブログをアップした翌7月29日朝の報道によれば、アメリカは平和記念式典に駐米大使を出席させると発表したとのことです〕
あまりにはかったようなタイミングというべきか。
広島のことを書いていたら、最近沖縄の基地問題の視察に行かれた知人からかの地の写真が送られてきました。
恩納村のビーチ。美しい。。。。。。

そして沖縄の花々。

沖縄、広島、長崎。忘れてはならぬこと。

今日の「1日1エコ」
風通し 考え家具の 配置変え
2010年07月27日
無頼派公務員
私はかねて、国―都道府県―市町村の相互関係を律しているのは「不信の体系」ではないかと見てきた。
私自身は、6年前に地方自治体の長になるまで、行政経験も議員経験もなく、どちらかというと(というかどっぷりと)社会の外を歩いてきた人間なので、ある意味どこに対する義理も思い入れもなく観察できる立場にあって、それぞれの所属の公務員が語る言葉の端からそれぞれの微妙な心理をありのままに受け止めてきたところがある。
国の上級公務員は地方公務員の能力を低く見ていて、地方分権の話になると本音の世界では「地方にまかせしまうとロクなことにはなりませんよ」と思い、公言もしている。これのさらに本当の本音に迫ると、自分たちの権限や定年後の地位を奪われかねない「改革」への抵抗だったりする。
地方公務員の側は、キャリア官僚なんていうと、そもそも学力や知識でレベルが違うとのコンプレックスを抱きつつ、どうせ違う世界の人間でへりくだっておくに如くはないと構えを決めている。大切なのは自分の職務範囲なので、あれこれの叱責、指導、口出しもその職分さえ侵さないならばいっとき耐えればすむことだ。
要するにお互いのテリトリーは分かっているので、それを互いに「尊重」しつつ、根っこのところでは相手をほとんど信用していない。
もちろん例外はあるし、近年はずいぶんと変わった関係性が生まれつつあるとはいえ、長年の組織間関係はそう簡単には覆らない。
昨日(7月26日)のブログで堀田力さんの講演をレポートしたが、やはり国の役人がいかに地方をばかにしているかを、実例をまじえて語ってくださった。
全国市長会の会合での神野地方財政審議会会長の講演を報告し、決して地方に権限を譲り渡さない中央官僚の執心を指摘したけれど、まさにその通りの構図が今もなお健在だということだ(7月15日『官僚的文章術の逸品』)。
しかし堀田さんの講演で感動的だったのは、介護保険制度創設のおりに、地方からたくさんの猛者が輩出され、旧来の関係性に大きなくさびが打ち込まれた、という実例だった。
新しい制度をつくる、しかもそれまで誰も手掛けたこともなく、ノウハウもなく、住民の実際要望にこたえて受益と負担を決め、サービス給付のシステム設計をしなければならない、そんな課題に直面したときの地方自治体職員の優位性、士気の高揚、隠れた人材や能力の発現、それによって生じた国―地方間関係の劇的変化、などなど。
まかせさえすればできる。それが堀田さんの総括だ。
で、そのときにちょっと面白い観察談をはさまれた。
地方、地方に、「カリスマ公務員」と呼ばれるような、やる気があり、住民ニーズを知り、勉強もし、誰に対しても臆せず物をいう職員が生まれ、続々と議論の輪に加わってくるのだが、その人たちに共通すること。
それは公務員らしからぬ雰囲気をまとっている、ということだったらしい。
公務員らしい、というのは風貌ひとつとっても、紺系統の上下、白ワイシャツにネクタイ、黒皮靴、へりくだった言葉づかいにできるだけ目立たないような振舞い、を、いうとしたら、「カリスマ公務員」は、中央の審議会やセッションに出てくるときも、ノーネクタイ、パーカーやブルゾン、スニーカー、ヒゲづら、生意気なため口、平気で国を批判する、で、ほぼ共通していた、というのだ。
どうですか、皆さん、それぞれの場で、そうそう、と言いたくなるような自治体職員を御存じではないでしょうか。
この共通項を体験的に発見した堀田さん、なぜそうなのかを考察するに、地域のなかに入って住民の要望を聞き、議論を重ね、住民の信頼を獲得するには、公務員然としていては不可能だったろうから、いきおいこんな風になっていったのだ、と、得心したそうだ。
このお話を聞きながら、やっぱり堀田さんというのは「人好き」で、根っこのところで「人善なること」を信じている方なのだなと、うれしくなった。
たしかにそういう面も大きいだろう。
一方、こうも言える。
この人たちはある種「無頼派」的ないでたちと言動で身を武装しなければ生存できない、そういう職場関係と組織構造に身を置いていたのだ、と。
公務員世界の格言によれば、「出る杭は打たれる、だが出すぎた杭は打たれない」、とある。中途半端に出れば潰されるだけだが、出すぎてしまえばある種の自由空間を確保できる、そんな処世訓のこと。
これはまぁ何も公務員世界の中だけのことではなくて、大なり小なりあらゆる組織機構において見られることだろう。
で、当面の課題。
出すぎる杭を増やしましょう。
そしてこの人たちが、あえて無頼に身をやつさなくとも生存できる組織スタイルを―というか、そんな自己演出にいそしんでるヒマもないほどに濃密な職務体制を構築しましょう。
そういう挑戦的で、創造的な政策テーマを開発することも、これからの自治体経営には求められてくるのだ。
そしてその事例がひんぱんに出現し、住民の信頼を獲得し、国のありようを中央官僚とため口で議論できる風土が形成されるにつれ、「不信の体系」は別の何ものかに置き換わって、納税者の利益がより効率的に保障されることになる。

マツヨイグサ、だそうです。

今日の「1日1エコ」
いらないね 便座ヒーター 夏はOFF
2010年07月26日
堀田力さん
堀田力(つとむ)さん。ご存知の通り、ロッキード事件の時に東京地検特捜部で縦横の活躍をし、その後も検察のエースとして歩むも、57歳で退官、福祉ボランティア活動への転進を宣言して、さわやか福祉財団を設立、以来一貫して福祉活動の社会的広がりを導いてこられた。
「新しいふれあい社会の創造」を目標としておられる。
介護保険制度もこの人の存在ぬきにはあんなに早期に実現されることはなかっただろう。
メディアにもたびたび登場し、著書も多いので、きっと名前を知らない人は少ないに違いない。
名古屋の会合で、その堀田さんの講演を聞いた。テーマは『地域主権に向けた人材育成』(7月26日)。
直接お話を伺うのは初めてだったが、後に深く残る講演だった。
私はときどき思うのだが、介護保険制度はある種「奇跡」の制度だ。日本という国柄で、あれほど短期間のうちに、かつまたそれまでのどの社会政策・福祉政策の諸制度ともまるっきり違う制度を創出した。
講演のなかでもさりげなく触れられていたが、政界・官界とも本音は大反対が主流(与野党問わず)。「日本的家族制度の美風を損ねる」とまで槍玉に挙げられた。
「介護の社会化」だって?社会主義を始める気か!的な論難も多数。
その中で介護の現場にいる人たち、介護の苦労を一手に引き受けていた家庭の女性たち、そして地方自治体の意欲ある職員、さらに厚生行政の中枢で気概をもって取り組んだ少壮官僚、こうした人たちの努力があらゆる反対論を打ち破ったわけだが、上記したように堀田さんの存在もまたとても大きかったといわれる。
ボランティアやNPO組織の社会的認知を大きく進めた点も大きかったし、おそらく同世代以下の「会社人間」「役所人間」に与えた衝撃の点でも、つまりこれからの社会のなかでの「仕事」「組織」「人生」のあり方をもう1度根底から考え直すインパクトの点でも大きく、今回直接お話を伺いながら、介護保険が「奇跡」であれば、堀田さんの存在も「奇跡」のようなものだと感じ入った次第だ。
権力中の権力の中から、無手勝流のボランティアへ。逆にボランティア活動から政治・行政の真ん中に。企業人から福祉活動へ。社会貢献の経験から企業統治への関与へ。その他、その他。
自由な往来と交流が、これからの社会活力を生み出すだろう。
地方行政の「人材育成」に関しては、
・責任と権限を与えて「まかせる」ことの重要性
・あくまでも住民の側に立って仕事をさせることの重要性
・採用時のあり方
を特に強調された。
全体として財団の名のとおり、さわやか、な講演でした。
もし何かの折に堀田さんの講演会などが身近で企画されたり、そんな誘いを受けられたら、ぜひ1度お聞きいただければと思います。

「ねじり花」というそうです。・・・・たしかに。。。

今日の「1日1エコ」
あみ戸風 窓や玄関 勝手口
2010年07月25日
3千円パソコン
報道によれば、インド人的資源開発省は、1台35ドル(約3,000円)の超低価格パソコンをインド工科大(IIT)などと共同開発したという。
高価なパソコンを購入できない地方の学生や子どもをユーザーに想定して開発されたこのパソコン、メール、インターネットはもとより、映像もみることができ、基本機能ではなんら見劣りはしないという。
来年には市販する予定で、教育水準の向上を狙っている。
シバル人的資源開発相は記者会見で、「米マサチューセッツ工科大のグループが(途上国の子供向けに)100ドルパソコンを開発したが、インド国民にとっては高価で適当なパソコンとはいえなかった」と指摘。そのためインドが独自開発を進めたという。
すごい、ですね。すばらしい、です。
インドは一昨年に30万円の車(タタ社のナノ)を製造・発売して世界をアッと言わせたが、今度は3千円PCとは!
「人的資源開発省」という役所名もなかなか、です。アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したのはインドのアマルティア・センだったけれど、彼が唱えたのも「人間の安全保障」。要は途上国では人的資源の開発に注力すべし、ということだが、センがモデルとしたのは、明治以降、日本が教育に力をいれることで短期間に欧米先進国と肩を並べたことだった。
ナノの開発目標は「世界一安い国民車」だったそうだが、かつて日本にも国民車構想があって、数々のエポックメーカー的な車を生み出した。いまの日本人は、30万円のナノを高性能の日本車と比べて「上から目線」で見がちだけれど、かつては欧米人から日本車がそのように見下されていたのだ。
先進国の優位性なんてものは数十年単位で入れ替わっていくもの。30万円自動車や3千円パソコンを生み出したそのエネルギーに畏敬の念を持てずしては、われわれの未来もおぼつかない。
パソコンを誰でもが使える機器にし、国民の能力開発に役立てるべし、そのためには100ドルでも高い、こういう問題設定が、絶えて久しく日本の国から消えてしまったのではないか。
なんかこう、素直な驚嘆とともに、深い焦燥に駆り立てられるニュースでありました。
かねてお知らせしてきたように、愛知県の消防操法大会が7月24日(土)、日進市の愛知学院大学を会場に行われました。
新城の代表分団、この日に向けて猛訓練を続け、とってもいいチームに仕上がっておりました。上位獲得の呼び声も高く大会に臨みましたが、思いがけぬミスが出て残念ながら入賞を逃しました。
それでも全力で走りきった団員たち。支えた仲間、ご家族、地域の皆さんはもとより、市民全体の誇りであります。
健闘をたたえて、さらにエールを送りたいと思います。
選手諸君お疲れ様でした。そして皆さん、ありがとうございました。
今日の「1日1エコ」
夜よりも 涼しい朝に 仕事する
